3月12日

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「気持ち」というものは移り変わるもので、今の気持ちは今だけのものかもしれないから、現時点でまとまる限りのことを書き出しておきたい。

わたしの経験と思いはわたしのもの、そしてこのブログもわたしのものだから、ここだけに、ありのままに。

あの動画とメッセージはまだ一度しか見ていない。
だから相当に主観的で、思い違いなんかもあると思うけど、あの日のわたしの行動、思考、感情、
目に映ったと思うものを今思い出せる通りに書いておきます。

既に切り替えられている人、V6と一緒に前を向けている人が読むと、わたしの思いはとてもネガティブに映ると思うし、ありのまま正直に書こうとすることで強い言葉、キツい言い回しを選ぶかもしれない。

だけど、わたしと思いを異にするファンの方々とV6の決断と6人それぞれの考え、発言に対する否定、批判等の攻撃的な意図は一切ありません。

2021年3月12日。
本当に何気なく、手持無沙汰で手にしたスマホにFCメールが来ていた。

オスロと薮原検校の公演案内かなと開いて、何より先に目に飛び込んできたのは「大切なお知らせ」とかの方ではなくて「本日16時」の文字だった。

スマホ画面右上の表示を見ると16:01だった。
のんきなのかなんなのか、嫌な予感とかまったくなく「なんだろう?」だけでURLを開き、ページに飛び、それでもまだ「なんだろう?」以上の思考がないまま下にある文章に気づかず動画を再生した。

再生を押してから文章に気づき、音声を聞きながら軽くスクロールして初めてすべてを理解した。

頭を上滑りする文章の上の方を読み流して動画に戻った。
何も考えられなかった。
だからといって目は逸らせず、動画の再生をやめることも出来なくて。

正直言って、ふざけないでほしかった。
ところどころの井ノ原くんのノリ、それに対する岡田くんの返しがわたしが受け止めるには軽すぎて反感を抱いた。

彼らにとってとても大きな決断でありながら深刻なネガティブなものでは決してない、気持ちの整理もついているからこその明るさ、わりといつも通りのテンションであること、わたしたちが出来るだけ絶望しないようにとの配慮もあってのことだとはわかる。
その優しさにわたしは傷ついてしまった。

だからと言って終始重々しく、もしくは堅苦しく、あるいは涙を見せられたり、ひたすら謝罪の言葉ばかりだったとしたらそれはそれで「じゃあなんで?」とまったく納得出来なくなっただろうから、あれが正解というか、自然というか、最善なのだと思う。

そもそもこれ以上ない大事な話なんだから、もう少しだけ淡々と、真面目に話してほしいとは思ったけど。

実際、驚かせてごめんとか言われたのがなんかすごく嫌だった。
「驚いた」どころで収まる話じゃないし、そんなことより彼らにそう謝らせていることがとてつもなく嫌だった。

とはいえどこにも無理がなく、清々しく、穏やかでリラックスさえしているような坂本くん長野くん井ノ原くん岡田くんに比べたら、剛くんと健くんは口数少なく、表情も硬く見えたから、なんか、納得してない、ズレがあるように見えなくもない気がしてしまって。

今回の決断に至った6人の気持ちが一致していることに疑いは1ミリもないのだけど、それならみんな同じテンションに合わせてほしかった。

そりゃ剛くんはおちゃらけられないだろうけど、健くんが少しも明るくないんだもん。
ファンがどう受け止めるかに誰より心を砕く健くんだから、ああいう感じは望んでなかったんじゃないかと思った。
いや、わたしが抱いた反感を正当化するためにそう思いたいだけかもしれないけど。

とにかく、気持ちはわかる、理屈もわかる、尊重もしたい。
言われていることすべてに納得出来るんだけど、置いてきぼりにされたような気持ちはどうしてもあった。

そりゃV6はわたしのためにあるんじゃない、6人の人生、選択はそれぞれ彼らのもの。
だけど6人が時間をかけて出した答えをたった15分ない動画と文章だけで受け止めきることはわたしには出来なかった。

井ノ原くんに水を向けられて剛くんが話し出すまで、なんとなくだけど一番最後まで抵抗したのはもしかしたら剛くんなんじゃないかと思っていた。
真逆だった。

とにかく自分の内部が破綻崩壊してて、思考とか感情とかがあるのかないのかみたいな感じで、画面を見ながら聞こえてくる音声の意味するところとそれに対する感想を認識するので精いっぱいだったのが、ここに来て初めて涙がこぼれた。

その後はただもう泣くだけだった。
もう後戻り出来ないんだと認めざるを得なかった。
受け止められるキャパを超えてしまった。

こんなに嬉しくないアルバムとツアーの予告がこの世に存在するなんて。
それでV6が終わってしまうのならそんなものいらない、永遠に完成しないでくれとさえ思った。

動画が終わり、ちゃんとメッセージを読み返し、署名を見たらもう我慢出来なくて、声を上げて泣いた。

ひとりで抱えていられなくて、とりあえずTwitterを開いたけど、なんて言ったらいいかわからなかった。

ただただ悲しかった。

いつかは来るその時が、こんなに早く、突然に訪れるものだと思ってなかった。
本当に、ひたすらに、とにかく悲しくて嫌だった。

「解散」なんて、V6には一番縁がない言葉であってほしかった。
だけど6人が「今」を超えていくなら、誰か一人でも違う場所を望むなら、なるほど確かにそれしかない。

理由のすべてが受け入れられてしまうから、納得出来てしまうから、それが救いになった人も多いだろうけど、わたしはそれこそが余計に嫌だった。
反論の余地がないから、どこにも気持ちのぶつけようがなくて。

やっと形になった言葉をツイートした後、かつてのファンでわたしに影響を与えた叔母、ファン活に付き合ってくれている母と妹に知らせた。
消えない現実を自らより確かにしてしまうようで、
文字を打つ指が、変換する字を選ぶ指が、送信ボタンを押す指がどうしようもなく震えた。

LINEはショックと悲しみを共有しただけで、励まされても気が楽になりはしなかった。
ただぼーっと泣き続けた。
こんな時いつも励まされてきたV6の音源も、円盤も、とても手に取る気になれなかった。

本当のファンの反応だけを見たいから、少ないフォロワーさんのツイートだけ拝見する以外入って来得る「外野」の情報はすべて遮断した。
ある意味「身内」の言葉だけ見てるのに共感どころかなんだか実感なくすごく他人事で、言葉になった思いをぽつぽつツイートしたりもしたけど、それもそんなに大した慰めにも整理にもならなかった。

そのうち父が帰宅した。
くそみそに泣いている理由を聞かれる前にと思い、父がリビングに入って来るなり「おかえり」も忘れて「ぶいが解散する」と言った。

字数にしてたった9文字の音を口にするのがこんなにつらく難しいと思わなかった。
涙で言葉が詰まって最後まで言い終えられず、父は案の定うまく聞き取れなかったようだったけど、言い直そうとしても喉が締め付けられて大泣きするだけのわたしに当惑しつつも察してくれた。
それから母が帰宅してまた泣いた。

夜は録画をみんなで見るのだけど、溜まりまくってるアド街、ファームは泣いてしまう気がしたから止めさせてもらった。
明日のラジオも聴けそうにないねなんて話してまた泣いた。

抜け殻のように呆け、ごちゃごちゃ考えては泣いて、夜はなかなか眠れなかった。

彼らにとって、ファンにとって、そしてその中の一人であるわたしにとって、V6は永遠でありながら永遠ではないという現実。

去年からいろんな場面で感じ続けてたアニバーサリーにしては重すぎるというか、単純に「周年だから」では括れない、なんか終わるみたいだなって違和感。

今までの周年のスタンスで言えばただの節目、ただの通過点にすぎないはずなのに、トニフィフコンは集大成にしか見えなかった。

だけどそれも今後はソロ活動充実にシフトして、グループ活動は少ない代わりに研ぎ澄ます、くらいのことだと思ってた。
そう思いたかった。

考えてみれば6人で描く未来、25周年の先の話って、いつの間にかしなくなってたよね。

直近1~2年のテレビや雑誌や円盤などはいろんな言葉の端々に透けて見えてたこの帰結の答え合わせになってしまうから、しばらく見られそうにない。
クソデカ感情で泣いてしまうだろうから、音源もまだ聴けそうにない。
とにかく見聞きするのがつらいから、これからあるテレビとラジオも数日置いとくくらいじゃ無理だ。

それにしても、円盤特典のチケットホルダーとFCからのパスケース、「これからのツアー来る時これ使ってね!」って意味だと思ったのに、微妙に違ったのかよ。
叶って1回限りかよ。
悔しいなあ。

いろんなスタンス、熱量でいいと思ってるけど、今後のわたしはというと、ぶっちゃけこれまでと同じ熱量でのファン活は出来そうにない。

もちろん、11月1日までは全力全開で許す限りの時間お金その他すべてを捧げるけど。
V6の完結を見届け、ともに駆け抜ける決意は固い。

11月2日以後も舞台とか現場があれば行くし、トニセンかソロかなんかでCD出すなら買うし、好みに合えばドラマと映画も観ると思う。
でもラジオ、Jweb、雑誌、バラエティ番組みたいな「作品」以外のものからは離れていく気がしてる。

一人ひとりそれぞれみんな大好きで、それはこの先も変わらない。
だけど、その大好きな6人がV6であることがわたしにとって何よりも好きで、大切で、重要なことなんだと思う。

あと1年もしないうちに、V6というグループは社会的には過去存在したもの、思い出になっていく。

V6は永遠の青春を形にした存在だった。
なんでかわからないけど、V6が思い出に変わる時に、わたしはこの青春にけじめをつけたい。

わたしにはいくつか好むものはあれど、V6ほど全精力傾けて夢中になれるものはないから、つらくても苦しくても消えちゃいたくてもV6がいるから生きる、頑張る、そんな生き方は出来なくなる。

これからはどんな時も自分の力で立ち上がっていく、言い方がどことなくきもくてすまんのだけど、V6という大きな愛の庇護からの“自立”の時が来たんだと思っている。

V6がいなくても、何があっても、わたしはこの命の限り、わたし自身の力と選択でわたしの人生を生きていく。

それは多分V6の、坂本くん、長野くん、井ノ原くん、剛くん、健くん、岡田くんの選択が意味するところと同じなんだと思う。